『雲南の妻』 

 
こういう世界もあったのかと、自分が拡げられたような感じがします

 この作家の『焼野まで』と『光線』を読んで、つらい内容なのに、心地よさと安堵感をおぼえ、不思議な気持ちになりました。それで、他の作品を読んでみたくなり図書館で探しました。お目当ての本がなく、あまり気がすすまないままこの本を手にとりました。

 しかし、予想をはるかに裏切るものでした。「すごいな、この作家は、なにものだ」と思わずにいられませんでした。今まで、この作家の本は、読んでみたいと思う機会がありませんでした。私が今の年齢になるまで、本が待ってくれていたように思います。そろそろ読ませてもいいだろうと、向こうからやってきたような出会いです。

 雲南少数民族の世界、女性同士の結婚、中国茶の味わい、どれも広く多く深い知識の量で、これらを村田喜代子という作家を通して抽出されたのがこの物語だと思います。その深みあるエッセンスは、知識というより勉強の賜物でしょうか、それと感性のすばらしさ、私の中を心地よい風が通りぬけていくようです。

 雲南省に駐在している商社マンの妻が、少数民族若い女性と結婚する。その雲南は、中国の南部、ミャンマーに近く、中央政府の統治がまだ及んでいなく、昔からの独自の生活が続けられている。
 その生活に密着した同姓婚の在り方、慣習は興味深いです。こういう世界もあるんだと、自分が拡げられた感じがしました。

 あるの講演会の講師の話から始まります。交通事故にあって、何ケ月か生死をさまよいながら、どこかの国で現地の女性と結婚し家庭をもち、幸せに暮らしている夢をずっと見ていたと。麻酔が切れて目が覚め、桃源郷から、激痛の現実に戻された。この話を聞いて、主人公の昔の記憶の扉が開きます。

 雲南少数民族出のキャリアウーマンの女性との同姓婚、夫が二人になります。男性の夫と女性の夫。仕事も家事も協力しあっていくので、3人の生活がうまくいきます。主人公はとまどいながら、しだいに幸福感に包まれていきます。ここらへんの主人公たちのこころの動きが淡々と描かれ、甘く切なくていいのです。
そして突然別れがきます。日本に帰ることになったからです。
 それから、年月が過ぎ、静かに暮らす主人公の姿がありました。開いた記憶の扉、それが遠い別の世界の出来事っだようにも思われるのでした。 
 読後、匂い立つ余韻にぼーっと浸りました。現実的なのに、とても幻想的です。中国茶と未知の世界の深い味わいと香りに包まれました。
 
 「人生はトシ相応のタカラが、ゆく手ゆく手に埋められてある」と田辺聖子氏のことばですが、本当でした。