チューリップと映画

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庭が急に華やかになった。たっぷりの日差しで暖かくなるとチューリップがいっせいに開花した。チューリップの明るさ愛らしさは格別。心を晴れやかにしてくれる。

最近立て続けにいい映画をみた。「スポットライト世紀のスクープ」「はじまりのうた」「ラ・ラ・ランド」いずれも話題作だったが、GYAOのおかげで観ることができた。しみじみといい映画。からだのなかに栄養が行き渡っていくようだ。

 

 

「重要参考人 ウイグルの強制収容所を逃れて」          

      サイラグル・サウトバイ   秋山勝訳

 

 図書館から借りてきて読みました。予約していた本ですが、次に順番待ちの方がいるので、早く読んで返却しようと思いました。しかし、一気には読めませんでした。読めないのです。つらくて苦しくなって中断…。何度息が詰まって空を仰いだことか…。 過去のナチスによる民族迫害やスターリンの恐怖政治が、今現在、隣りの国で行われているのです。報道で聞いてはいましたが、この証言を読むと心底恐ろしくなりました。これほどの大規模な人権侵害がおきているとは……。密室ともいえる収容所の内部はあまりにおぞましく人間のやる所業ではありません。でも現実に多くの共産党員が、教育という名のもと、仕事として、拷問や殺戮、人体実験を行っているのです。

 中国共産党って何なのでしょう。チベット、モンゴル、ウイグル、香港と次々に権力の下、武器と暴力によって支配しようとし、台湾にも手を伸ばそうとしています。中国建国100周年行事に習近平主席が、軍備を強化して発展(?)をやり遂げると言っていました。厳しく規制されているとはいえ、中国人口14憶人、15人にひとりは共産党員らしいですが、残る12億人は、この自国の事実をどう受け止めているのでしょうか。

 まず人権を尊重する。ここから出発しない国家は土台がぐらついているようにしか思えません。天安門事件のようなことがまた行われるのではないかと思うと心がザワザ ワします。自分には何ができるんだろう、何もできない。せめて、この命がけの証言の本を人に伝え、日本の外交や企業、世界の動きに関心を持ち続けようと思いました。

 中国のあちこちにある収容所の実態が世界中に明るみになり、収容されている何虐万人の人が一刻も早く解放され、命が救われることを切に願います。

 サイラグル・サウトバイさんの勇気とこの本の出版を手掛けた関係者の方々に敬意を表します。そして、サウトバイさんご家族が安全に心穏やかに過ごせますよう祈らずにはいられません。

『狂うひと』「死の棘」の妻 島尾ミホ            

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 この著者が、ある作家から「きみは文がうまいからが、本を書いてみたらいい」と言われ、書き始めたということを読んだことがありました。文がうまいと言われた人の文章を読んでみたいと思い、この本を手に取りました。ですから、きっかけは島尾ミホ島尾敏雄ではなく、梯久美子でした。こんなに分厚い本を最後まで読めるかなと思いましたが、夢中になり一気に読んでしまいました。

 島尾敏雄は小学生のときから亡くなるまで欠かさず克明に日記をつけており、それに基づいて小説を書いていたそうです。代表作「死の棘」もそのひとつで、私は以前、読みはじめ途中で息苦しくなり断念してしまいました。

 その「死の棘」は、実は……と、この「狂う人」を読むと、抱いていた印象が変わります。

 作家島尾敏雄は、本書によると、「業の浅さ」に小説家としてのコンプレックスがあり、「生々しい手応えのある悲劇を家庭内に求めてきた」とあります。「…小説を書く人間でなければ、トシオはミホと暮らし続けることはできなかっただろう。ミホの存在は、何よりも作家島尾敏雄にとって必要だった…」と。かたやミホは、何をしても許される生来の地位を取り戻すのに狂う必然性があったと。

 あの「出来事」が、偶然ではなく必然であるというのは、私にとっては驚愕のことですが、著者は、敏雄が求めていた以上の悲劇だったのでは―と、とらえています。ゆかりの人へ丁寧な取材をし、膨大な日記や書物を丹念に読み解いて、隠れた事実を浮き彫りにしていった過程はすごい説得力があります。そして自身が感じた違和感、直観を解明していく姿は、謎解きのミステリーのようで、ゾクっとさせられます。

 しかし、最後の「三人の遺品」は、何とも言えない余韻を残してくれました。これを残していたミホ、最後の最後にみせてくれた著者に、なぜかありがとうという言葉がでてきてしまうのです。

 ミホを育んだ「南島」について興味をそそられました。ミホの「海辺の生と死」を読んでみたいと思います。島尾敏雄の同人誌の仲間であった矢山哲司を書いた、松原一枝の「お前よ美しくあれと声がする」も。また、長男の島尾伸三(島尾夫妻の被害者とどうしても思ってしまう)の「小高へ」「東京~奄美損なわれた時を求めて」。もちろんこの著者の他の本もです。

読んでみたいものが芋づる式にたくさんでてくるのは、生きる力、エネルギーをもらったようでもあります。

ひと目で見分ける580種『散歩で出会う花』          ポケット図鑑

小さくても威力抜群

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 散歩が好きです。特に野の花が咲いている散歩道が。ひっそりと健気に咲いている野の花ですが、ゆっくり歩いていると目があいます。だからぜひ名前を知りたいのです。幼いときは、大人に聞いたり植物図鑑でしらべたりして花の名前をおぼえていきました。数年前に緑が多い土地に移り、また野の花との出会いが多くなりました。

 今は知らない花に会うと、このポケット図鑑で調べます。分類の仕方が簡潔でわかりやすいのです。まず花びらがくっついているか離れているかを見ます。パラパラとめくっていくと、あっ、これだとすぐわかります。解説のポイントが的確なのです。それからもっと詳しく知りたいときはネットや事典で調べていきます。

 先日も、信州の高原でいくつか知らない花に出会いました。「ヨウシュヤマゴボウ」「オカトラノオ」「ヘクソカズラ」。調べてすぐわかりました。

小さくても威力抜群! まさに旅のお供です。

 裏表紙に書いてあります。「…日々の生活に潤いが増すこと間違いなし!…」と。本当にそのとおり、小さいながらも頼りになる野の花の図鑑です。

 

『天使はブルースを歌う』

 「光の多いところに強い影がある」ゲーテの言葉が浮びます

 

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  たまたまYouTubeでみたなつかしいグループサウンズ特集のなかで、ゴールデンカップスに釘付けになりました。凄みのある姿と音楽はインパクトがありました。

グループサウンズ全盛期、私は10代前半。当時はアイドル系のグループにあこがれていたので、ゴールデンカップスはあまりなじみがありませんでした。洋楽を唄う本格的なバンドだなと思っていました。「長い髪の少女」は好きでした。

 

ゴールデンカップスを検索していくと、山崎洋子がでてきます。あの作家とゴールデンカップスとがつながりません。あまり知らない作家なので、読みやすいエッセイを読んでみることにしました。「誰にでも、言えなかったことがある 脛に傷持つ生い立ち記」です。読んでびっくりです。複雑な生い立ちと、育ちの良さそうな印象とが結びつきません。客観的な姿勢にとても好感をもちました。今度は山崎洋子に釘付けです。

 

ゴールデンカップス山崎洋子が結びついて、「天使はブルースを歌う」を読みはじめました

この本は、戦後の横浜でひっそりと埋葬されていた嬰児たちの事実を取り上げたノンフィクションです。戦後の混迷期、ベトナム戦争アメリカ軍駐留。日本の戦後の飢えた空気と繁栄、戦火に赴く米兵たちの熱気。音楽を通してそんな時代をもろにかぶったカップスの演奏が刺激的でないはずがありません。あの纏った独特な雰囲気は当時の横浜の歴史そのものだったんですね。

わたしが地方から横浜に移ったとき、休みの日には横浜を散策しました。元町、中華街、関内、伊勢佐木町、山下町、黄金町、寿町…。メリーさんも何度か見かけました。馬車道では同じベンチに腰掛けたこともあります。強烈でしたが、風景に溶け込んでいました。表通りは華やかでおしゃれであるけれど、裏通りを歩けば歩くほど、湿った空気や哀しさをただよわせるものを感じていました。

 

「光の多いところに強い影がある」というゲーテの言葉がうかびます。光多く繁栄した横浜には濃い陰があるはずです。

嬰児たちの埋葬の事実を認めない横浜市衛生局への山崎さんの戸惑いと怒りは当然です。臭いものにはふたをするとしたら、国際都市横浜を治める公人にしてはあまりにも貧弱な感覚です。もっと懐の深い歴史感をもった人が治めてほしいと思います。街の歴史は人間の歴史、まるごと受け入れて未来につなげるものだからです。ゲーテも呆れていると思います。

 

この本で、横浜の歴史を確認できたこと、ゴールデンカップスがカッコイイ理由を知ったこと、そして山崎洋子さんに出会えたことが大きな収穫です。つい最近、山崎さんがこの本の続編に当たる「女たちのアンダーグラウンド」という本を出版されたのを知りました。同時に廃刊になっていたこの「天使は…」も復刊されるそうです。これらの愛に満ちた本がたくさんの人に読まれることを願っています。             そして「丘の上のエンジェル」というこの哀しみに寄り添った歌が、歌い継がれていく横浜であってほしいと願います。   

刑事マルティン・ベック

スウェーデンストックホルム警視庁の殺人課主任マルティン・ベックの物語 

 

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1、『ロセアンナ』     柳沢由美子訳

2、『煙に消えた男』    柳沢由美子訳

3、『バルコニーの男』   高見浩訳

4、『笑う警官』      柳沢由美子訳

5、『消えた消防車』    高見浩訳

6、『サボィ・ホテルの殺人』高見浩訳

7、『唾棄すべき男』    高見浩訳

8、『密室』        高見浩訳

9、『警官殺し』      高見浩訳

10、『テロリスト』     高見浩訳

 

「一日の終わりの寝床での読書タイム」、イコール、「私のマルティン・ベックが始まるタイム」だったのが、全巻10シリーズを読み終えてしまった。なんともさびしい…。もうマルティン・ベックたちに会えなくなるなんて…。

愛すべき刑事マルティン・ベック、コルベリ、グンヴァルト・ラーソン、エイナール・ルン、それにメランダーにスカッケにモンソン…。

マルティン・ベックタイム」がいかに楽しみで充実した時間だったか。本を開くと、日中の雑事が吹っ飛び北欧の世界に入り込む。おなじみになった登場人物たちが動き出す。

  

 最初に読んだのは『笑う警官』です。なじみのないスェーデンが舞台なので、読みはじめは長い名前が多いのと地理感覚がないので混乱しました。登場人物を紙に書いて整理し、地図を脇において確認しながら読みました。しかしそれは最初だけでした。登場する警察官の人物像がはいってくると、もう釘付け、ページをめくる手が止まりませんでした。

 シリーズが10巻あるとわかると、次は1巻から順番に読みました。1970年代出版ですので、簡単には手にはいらず複数の図書館や古書店で探し手にしました。

このシリーズは、英訳からの重訳の高見浩氏による10シリーズが1970年代に出版されていましたが、近年のミステリブームで、2013年から柳沢由美子氏の原語からの訳で4、1、2巻が出版されました。私は柳沢訳から読んだので、高見訳に移ったときは文体のリズムが違うので戸惑いました。

柳沢訳は、ストレートで直球。高見訳はテンポが遅く、初めは気がそがれもどかしかったですが、日本語の名訳と深みのある表現に立ち止まることがしばしばありました。

名訳より直線的で想像の余地がある柳沢訳の方が自分には合っていると思いましたが、マルティン・ベックもシリーズも後半では年齢を重ねているので、高見沢訳の方が味わいは深くなるかもしれません。訳者の違いも楽しみのひとつでした。

 

 こんなに夢中になった理由は大きく3つ。

ひとつは、人物がリアル。人間味や生活感情、表情や体温や呼吸まで伝わってきました。体臭や体毛までも。見事だと思います。

刑事小説の金字塔と言われているように、刑事気質が魅力的です。

スェーデンの当時の福祉政策をうたった社会の裏側が興味深い。人間の弱さもろさが尾を引きます。10年かけて10シリーズ、マルティン・ベックたちも年齢を重ねます。社会も移り変わります。

 

こんなにはまってしまったので、次の楽しみを探すのも容易ではありません。

『コンビニ人間』

 前々から気になっていた本

 この作品が芥川賞を受賞した時は、味気ない題名にすぐに読みたいとは思いませんでした。しかし気になっていました。なぜならば、私も3年間コンビニでパートをしていた経験があるからです。どんなふうにコンビニが書かれてあるのか興味はありました。

 私がコンビニでパートを決めたのは家の近くだからと軽い気持ちでした。
周りから、「えっ、コンビニ!ほかにないの」「なんでまたよりによって」「その年齢でコンビニ」と言われました。便利なコンビニの恩恵にあずかりながら自分もどこか軽んじているところがあったのは確かです。
実際初めて見ると大変でした。研修もそこそこに本番。小さい店なのに大繁盛店、しかも混雑時間帯のシフト。トイレにいく時間もない。
しかしこの3年間は大勢の人とかかわっただけに思うことや感じることも多かったです。たかがコンビニ、されどコンビニでした。

 この本は、社会との接点がない主人公が、新装開店のコンビニのアルバイトをするようになり、社会に溶け出していく物語です。店内の様子がリアルで、自分も夢中で働いていたときが蘇りました。スピードと清潔と売上(当然)が要求されるコンビニのマニュアルはすごいです。(私も短い間でしたが身につきました。今でもコンビニに入るとついチェックしてしまいます。)
 このマニュアルから垣間見える人々の姿、人間模様が見事に描かれておもしろいです。ヘンな人がでてきますが憎めません。主人公のように人に腹をたてたりすることはありませんが、人の怖さを感じさせます。

「何かを見下ろしている人は、特に目の形が面白くなる。……」
「店長の中で、私がコンビニの店員である以前に、人間のメスになってしまったという感覚だった。」
というところでは、うーん、とうなってしまいました。うなったところはほかにもまだまだあります。
読み応えたっぷりです。

 社会から疎外感を味わう主人公が、あることをきっかけに自分の居場所に気づき「これでいいのだー」と我が道をいく姿は爽快です。現代の一面を描いたいい小説だと思いました。タイトルは「コンビニ人間」まさにこれです。

『月の満ち欠け』

リアル感のあるファンタジー


面白かったです。『身の上話』→『鳩の撃退法』→本作と読んで、いずれも最初は穏やかにゆっくりと入り、やや退屈な感じから、ある時を境に話が急展開しはじめ、その後は一気に読んでしまうというスタイルは同じでした。

私の読書タイムは、夜の寝床です。いずれも猛暑の寝苦しさを吹っ飛ばすくらいの勢いで読みました。

おだやかな日常から、突然人が死んだりする衝撃にヒヤッとさせられます。そこからゾクッとする世界に引きずり込まれていきます。
シャッフルしているような描き方の順序に、混乱しますが、登場人物を紙に書きだして相関関係を整理すると、お見事!と唸ってしまいます。

「生まれ変わり」は、ありえるようなありえないような、だれも結論はだせません。が、この言葉がある以上、こういう死のかたちがあるのかもしれないと思ってしまいます。
生まれ変わりの少女たちは、恐ろしくて不気味ですが、哀しい存在にも思います。生まれながらにして愛しい記憶や愛おしかった人を求めずにはいられない性を背負っているからです。
私の勝手な感想ですが、荒谷親子の存在は余分だった気がします。哲彦と少女たちで十分だったと思います。哀しさが少し崩れてしまいました。

3作続けて読んで感じたことは、この作家は、書くことが好きなんだなあということです。おそらく、かたのときもストーリーを練ることが頭から離れないのではないかと思います。生活のすべてイコール小説を書くこと。
こういうことを感じさせる作家の本は、まちがいなく面白くないはずはありません。

 『身の上話』

あり得ないことが日常にまぎれているという感覚(文中より)


これは怖い小説です。
タイトルからして『身の上話』というありきたりの日常を連想させます。主人公のミチルは、一見どこにでもいそうな代わり映えのない女の子です。小さな事件は起こりますが、なぁんだという感じです。
語り手が主人公の夫ですが、この夫はなかなか登場してきません。
しばらく退屈です。でも、私の好きな作家K氏のおすすめの本なので、必ず面白くなるはずなので、がまんして読んでいました。
そうしましたら、きました。とらえて離さない波が。あとは、波にのみこまれて一気に読みました。

宝くじ当選後の展開は興味深く、予測がつかずスリル満点でした。「身の上話」ということばの何気なさが、だんだん重くなってきます。このギャップがこの小説のこの作家の特徴なのかもしれません。

私が本当に怖かったのは、「あり得ないことが日常にまぎれているという感覚」(文中より)の想起です。
ミチルの幼馴染としてなかなか表に登場しない人物については、初めからブキミでした。
騒ぎ立てる人よりも、このように一見冷静で普通に生活している人が、実際怖いかもしれません。。
そして、この「日常にまぎれてーー」は、昔、過去の「横浜事件」「小林多喜二」や第二次世界大戦を知り、感じたときの怖さが蘇りました。この事件や戦争は遠い過去のことではなく、今も消えてはいない。人を殺した人がこの日常にまぎれて自分とおなじく生活しているんだ、と思ったときの恐怖…。

この本は、結末で決着があり、深い安堵感がありました。

『ОUТ』

鬱屈する心のゆくえ

『夜の谷を行く』で、桐野夏生に出会い、『顔に降りかかる雨』『デンジャラス』『柔らかな頬』と続き、桐野夏生ワールドにはまりました。
この『アウト』で、立ち止まりました。剛速球が立て続けにきたので、酸欠状態になりました。

それにしても、人物のリアル感は見事です。ぐいぐいと惹きこまれていきます。特に主人公の雅子とヨシエとは、自分と年齢が近いので、共感する感情が多く、目が離せませんでした。

真面目で優秀な信用金庫の事務員だった雅子、貧乏と介護であえぐヨシエ。二人は弁当工場でも仕事がよくでき一目おかれる存在でした。自力ではどうすることもできない社会の壁、運命の壁に鬱屈するものを抱えていきます。それが、一線を越えさせてしまいます。

毀れた人間の怖さ、修羅場には身震いしましたが、絶望していく人間の姿や過程に、なんともいえない切なさを感じました。弱い人間の心理が圧巻です。

自分がもっと若い時に読んだら、別の読み方をしたと思います。少なくとも雅子や佐竹という人物は到底理解できなかったと思います。いや、怖すぎて最後まで読めなかったかもしれません。

──突然、何もかも変わる日がやってくる。今夜こそが、その日かもしれない──
鳥肌のたつ内容なのに、結末はどこか爽快感もあります。それぞれが鬱積したものが、出口に向かったからです。だれもが予想もできなかった自力での脱出の仕方で。

桐野夏生ってどんな人だろうと、写真の顔を見つめてしまいました。強い目をした、きりりと美しい方です。
並はずれた強いエネルギーを持っておられるのは確かですが、私が一番惹かれるのは、自由さと突破力です。他に迎合することなく、本質を見極めようとする姿勢と、常識やタブーを突破する力はすごいなぁと思います。
しばらく間をおいてから、『グロテスク』を読んでみたいと思います。