「薄情」

わたしの薄情

 私は絲山秋子を信頼しています。絲山氏の「袋小路の男」の女主人公が「彼は作家です」と言い切る心情と同じだと思っています。絲山氏の本をもっと読んでいけば、その理由もはっきりするかもしれません。

 いつものように、長くはない文章の間に、「ん?」と立ち止まり、「こういうことか」と思いながら、時にはうなりながら、いつしか絲山ワールドにはまりました。普段の生活で無意識にやり過ごしている感覚を、浮かび上がらせてくれます。そしてそういうことかと気づいたことで生きやすくなります。

 この本のなかでは、「地元の人間」「ヨソ者」「出戻った人間」がでてきます。人や社会は階層や区別や壁を作ってしまいます。
主人公の宇田川は、大学は東京で地元群馬に出戻った人間です。神主を継ぐということが決まっており、今は他者との深入りを避けてなんとなく暮らしています。深入りはしないけど、しっかりと相手との距離ははかっています。今はこういう人が多いのではないかと思います。
ヨソ者や出戻った人間との関わりの中で、自分を見つめていく物語です。

 この本を読みながら、自分のことを思いました。私は地方に移住してきたヨソ者です。地元の人とくっきりと区別があります。自分がヨソ者だと思っているし、地元の人もそう接します。これからそれがどう変化していくのだろうかとちょっと楽しみでもあります。

また、高校まで過ごした故郷に対する思いは複雑です。故郷を離れた自分が薄情に思えます。そのときは故郷=閉塞感でした。
しかし、久しぶりに訪れた故郷は様変わりして、自分がヨソ者になったという思いをいだきます。故郷が薄情に思えました。

自分の感じた薄情は、宇田川の独白と同じ、一言でいえばくだらなく、どうでもいいこと。でもそう感じるのも愛情の裏返しかな、と思えました。愛情にも表と裏があるようです。

読み進みながら、宇田川や絲山氏のドライブの同乗者になったようで、走り抜けたリアル感があり、心地よさが残りました。それは生きやすさでもあります。このリアル感は、絲山秋子氏の特徴だと思います。好きな理由の一つでもあります。